タンゴの生い立ち その2
1890年代になると、ミロンガは、もっと歯切れの良いタンゴという名前に変っていきました。
ミロンガ自体が、只、2拍子のダンス音楽というだけで、特に形式とは呼べない自由な
ものだったのですから、名前が変っても大した事は、有りません。
ミロンガ自体が、只、2拍子のダンス音楽というだけで、特に形式とは呼べない自由な
ものだったのですから、名前が変っても大した事は、有りません。
こうして、何が何だか分からない内に、タンゴが生まれていました。どうして、タンゴと云う
名前が付いたのでしょうか…結局、当時酒場に集まる人達にとって、タンゴという
名前は、ダンスにピッタリした、カッコイイ名前だったから、そう命名されて、広まったのでしょう。
名前が付いたのでしょうか…結局、当時酒場に集まる人達にとって、タンゴという
名前は、ダンスにピッタリした、カッコイイ名前だったから、そう命名されて、広まったのでしょう。
うす暗い場末の酒場で、親も分からず、名前もいい加減に付けられて、見すぼらしいタンゴが
生まれました。
生まれました。
このアルバムから、1曲ご紹介致します。
演奏者 CARLOS MARCUCCI カルロス、マルクッチ
曲目 MI DOLOR 我が悩み
読み ミ、ドロール
録音 1930年
マルクッチは、バンドネオン奏者、1925年の、カナロのパリ公演に参加、その後、フリオ、デ、カロの
楽団で活躍しましたが、楽団を率いての大成は、出来ませんでした。この曲は、彼の代表作で、
後半の、バンドネオン変奏で有名です。
楽団で活躍しましたが、楽団を率いての大成は、出来ませんでした。この曲は、彼の代表作で、
後半の、バンドネオン変奏で有名です。
お断り 静止画で音楽を流す、「みんふぉと」が10/31で、サービス停止との事で、この曲は
再生不可です。いつの日か再生したいと思います。
再生不可です。いつの日か再生したいと思います。