タンゴの生い立ち その6

当時は、市内の広場(公園)でのお祭りが盛んでした。宗教的な祭日や、国の祝日などには、天幕で
囲った即席の、ダンス場が出来、老若男女が、つどって大掛かりなパーティが、
催されました。

ブエノスアイレスは、移民の町です。スペイン、イタリア、フランスなど、ヨーロッパ各国から
新天地を求めて、やって来た人達は、豊かな生活の夢破れて、場末の大きな長屋に
何世帯も、住んでいました。

貧しい反面、連帯意識は高く、何かが有るとすぐ、隣近所が集まって、中庭でパーティを開きました。
これらの庶民的な、ダンスの集まりでは、ヨーロッパの民衆舞曲に混じって、だんだんとタンゴが
踊られるようになりました。勿論、酒場で踊られていたタンゴより、だいぶ、ステップは
易しくなり、一般的になって来ました。

このように、タンゴが少しづつ浸透してきますと、演奏する方も、仕事が増えて、いい加減な
事では、やっていけません。タンゴは、音楽としても、なかなか、魅力のあるものに
なって来ました。

このアルバムから、更に歌のタンゴを、ご紹介致します。

歌唱者  AZUCENA MAIZANI アスセナ、マイサニ

曲目  USTED SABE SENOR JUEZ お聞き下さい。

読み  ウステ、サーベ、セニョール、フェス

録音  明記してないが、1930年代と思われる。

タンゴ、ドラマティコとして、有名で、法廷で裁判官に告白する女の運命が、題材になっています。

「私は、知りません。思いだす事も出来ません。宿命の力が私にさせた事でしょう…あの夜、他の
 女と一緒にいる彼を見た時、私は、我を忘れていたのです。後は、ご存知の通りです。
 裁判官様… 私は、あの人を殺してしまいました。」


静止画で、タンゴを流す「みんふぉと」が、10/31でサービス停止との事で、
このタンゴは再生不可です。