フランシスコ、カナロの生涯 その11

客が、客を呼んで、連夜このホールは、押すな押すなの、大盛況だったと云われます。
そして、ついには「カナロでタンゴを踊らぬのは、人にあらず」という言葉までを
生んでしまったのです。

パリでの、大成功に気を良くしたカナロは、翌年、ニューヨークへ渡りました。
「クラブ、ミラドール」を中心に、ここでも、大活躍を博しました。

各地で、大きな勝利を握って、意気揚揚とブエノス、アイレスに引き上げて来たのは
1927年初めの事でした。
内外の、圧倒的人気に支えられながらも、おごることなく、栄光への道を一路驀進してゆく
カナロの顔には、自信と勇気とが、満ち溢れていました。帰国の年一年で、
300曲という驚異的な、レコーディングを、おこなった事実は、何よりも彼の人気と
実力を裏付けるものでしょう…

このアルバムから、歌謡調のタンゴを、ご紹介します。 歌手は、ロベルト、マイダ

曲目  NOVIA

読み  ノーヴィア

録音  1937年


1925年の、パリ公演での、カナロ楽団 全員ガウチヨ姿