フランシスコ、カナロの生涯 その11
客が、客を呼んで、連夜このホールは、押すな押すなの、大盛況だったと云われます。
そして、ついには「カナロでタンゴを踊らぬのは、人にあらず」という言葉までを
生んでしまったのです。
そして、ついには「カナロでタンゴを踊らぬのは、人にあらず」という言葉までを
生んでしまったのです。
各地で、大きな勝利を握って、意気揚揚とブエノス、アイレスに引き上げて来たのは
1927年初めの事でした。
内外の、圧倒的人気に支えられながらも、おごることなく、栄光への道を一路驀進してゆく
カナロの顔には、自信と勇気とが、満ち溢れていました。帰国の年一年で、
300曲という驚異的な、レコーディングを、おこなった事実は、何よりも彼の人気と
実力を裏付けるものでしょう…
1927年初めの事でした。
内外の、圧倒的人気に支えられながらも、おごることなく、栄光への道を一路驀進してゆく
カナロの顔には、自信と勇気とが、満ち溢れていました。帰国の年一年で、
300曲という驚異的な、レコーディングを、おこなった事実は、何よりも彼の人気と
実力を裏付けるものでしょう…
このアルバムから、歌謡調のタンゴを、ご紹介します。 歌手は、ロベルト、マイダ
曲目 NOVIA
読み ノーヴィア
録音 1937年
1925年の、パリ公演での、カナロ楽団 全員ガウチヨ姿