フランシスコ、カナロの生涯 その4
このトリオは、キップの良さが自慢で、その熱気あふれる演奏は、
界隈の若者たちを多いにシビレさせたようです。
界隈の若者たちを多いにシビレさせたようです。
1908年、カナロは、記念すべきタンゴの第一作「ラ、バーラ、フェルテ」を作曲しました。
タンゴの楽団は、この当時、まだ今日のような決まった楽器編成をとっておりませんでした。
タンゴの楽団は、この当時、まだ今日のような決まった楽器編成をとっておりませんでした。
カナロの、グループもその後、目まぐるしい程に、形を変えていたようですが
バンドネオンの普及と共に、新しく、ピアニスタのホセ、マルティネスが、加わり
バンドネオンが、ロドゥカから、ペドロ、ポリトに、交代するなど、メンバーの動きが
活発になってくる事も、その辺りの事情を裏がきしていると、云えるでしょう…
バンドネオンの普及と共に、新しく、ピアニスタのホセ、マルティネスが、加わり
バンドネオンが、ロドゥカから、ペドロ、ポリトに、交代するなど、メンバーの動きが
活発になってくる事も、その辺りの事情を裏がきしていると、云えるでしょう…
このLPから、1曲ご紹介致します。
曲目 LA BARRA FUERTE 強い仲間
読み ラ、バーラ、フェルテ
録音 1956年
1908年作の、カナロの処女作ですが、発表当時は、殆ど人々から、かえりみられなかった
そうで、カナロ自身生前、「すっかり気を落としてしまい、しばらくは、作曲する気にも
ならなかった。」と、述懐していました。
初期のタンゴらしく、明るい曲想です。只、私の好みとしては、余り、明るい曲は
好みでは、有りません。だからと云って、この曲が嫌いな訳では有りません。尚、
録音が、上手くいかず、出だしが飛んでいますので、ご了承下さい。
そうで、カナロ自身生前、「すっかり気を落としてしまい、しばらくは、作曲する気にも
ならなかった。」と、述懐していました。
初期のタンゴらしく、明るい曲想です。只、私の好みとしては、余り、明るい曲は
好みでは、有りません。だからと云って、この曲が嫌いな訳では有りません。尚、
録音が、上手くいかず、出だしが飛んでいますので、ご了承下さい。
カナロの似顔絵(このLPの表紙)