マンリオ、フランシアは語る。 その3
続き
「オルケスタ、ティピカ、ビクトル」と云う楽団名を、誰が付けたのか知りませんが
指揮者の名前を公表しなかったのは、ペトゥルチェーリの希望のようでした。
「オルケスタ、ティピカ、ビクトル」と云う楽団名を、誰が付けたのか知りませんが
指揮者の名前を公表しなかったのは、ペトゥルチェーリの希望のようでした。
これには訳がありましてね…「この楽団には、金に糸目はつけないから、良いムシコを集めよ」と
云う大命令が有りまして、ペトゥルチェーリの名を出さない方が、人材を集めやすかったんだと
思います。
云う大命令が有りまして、ペトゥルチェーリの名を出さない方が、人材を集めやすかったんだと
思います。
演奏スタイルは、当時の標準型、レパートリーは、ディレクトールである、ペトゥルチェーリが
決めるという事で、始まった訳です。
私に、出演依頼があったのは、確か、初録音の3~4日前だったと記憶しています。
電話で、ルイシート(ペトゥチェーリ)から、誘われました。
決めるという事で、始まった訳です。
私に、出演依頼があったのは、確か、初録音の3~4日前だったと記憶しています。
電話で、ルイシート(ペトゥチェーリ)から、誘われました。
「他にどんな人を予定しているのか?」と聞くと、ルイシートは、何人かの名を上げていましたが
今は、全く覚えていません。
ただ、彼は、「この話をしたのは、あんたが最初だよ」と云っていました。
今は、全く覚えていません。
ただ、彼は、「この話をしたのは、あんたが最初だよ」と云っていました。
私の、腕を高く買ってくれていたんでしょうね…
続く
続く
マンリオ、フランシア