マンリオ、フランシアは語る その2

続き
「案の定、アドルフォ、カラベリ(当時、アルゼンチンビクターのプロデューサー)が、デ、カロに
相談したら「フレセドの代役など、私には出来ません」と言下に断られたそうです。

「それでは、スカウトできそうな良い楽団は?」という質問に、デ、カロは、
「ルイス、ペトゥルチェーリはどうですか」と答え、「ペトゥルチェーリは、今、特別に決まった
仕事を持たないで、あちこちの助っ人をしたりしているようですし、彼なら相談に乗って
くれるでしょう…」と、云う事で、結局この場は ペトゥルチェーリ]に任せようと、いう事に
なったんです。

デ、カロは、ファン、カルロス、コビアン楽団で働いていた時以来、ペトゥルチェーリとは
非常に仲が良く、音楽性も熟知していましたから、彼なら、カサ、ビクトルの、この難局を
乗り切っていくだろうと思った訳ですね…」
                      続く