マンリオ、フランシアは、語る。 その1

オルケスタ、ティピカ、ビクトル結成に付いて、当時のメンバーで有る、マンリオ、フランシア氏が
語っているのを、聞き書きしたのを、この場を借りて、ご紹介します。

聞き手は、昨年12月に、逝去された、タンゴ評論家の大岩祥浩氏です。この談話は、TC-1005
「オルケスタ、ティピカ、ビクトル第3集」という、LPから、全面的に、引用させて頂きました。
尚、マンリオ、フランシア氏は、ビオリン奏者です。



「カサ、ビクトル(ビクター社)は、ご存知の通り、レコードの老舗です。オルケスタ、ティピカ、ビクトルが創設される直前まで、カサ、ビクトルの中心楽団は, オスバルド、フレセドのオルケスタでした。
時代に最も良く合った、タンゴスタイルと云うのでしょうか…

フレセドは、町の人気者でレコードも、良く売れていました。つまり、「オルケスタ、ポプラール」
そのものでした。カサ、ビクトルは、ですから突然、フレセドが、オデオンに移ると
云い出して、大変困惑してしまったんです。この頃(1925年)カサ、ビクトルには、もう一つ、
有力な フリオ、デ、カロ楽団]がおりました。

順風満帆の、若いオルケスタでしたが、レコード会社の中心楽団として、フレセドの代役を
勤められるような、大衆性は無かったように思います。」
                              続く…
                             
1975年8月12日収録